大判例

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大阪地方裁判所 昭和41年(わ)2264号 判決

(被告人)

本籍

神戸市東灘区御影町東明字乙女塚四七〇番地

住居

豊中市玉井町一丁目一〇番二五号

会社員

豊田志津子

大正一三年六月五日生

本籍

兵庫県宍栗郡山崎町木谷一二八番地

住居

大阪市港区南市岡二丁目八番二一号

会社役員

森蔭彬韶

大正六年一二月二九日生

(被告事件)

法人税法違反

(出席検察官)

小幡雅二、吉嶋覚

主文

被告人豊田志津子を懲役一年及び罰金四〇〇万円に、同森蔭彬韶を懲役六月及び罰金五〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、被告人豊田に対し金一万円を一日に、同森蔭に対し、金五、〇〇〇円を一日にそれぞれ換算した期間その被告人を労役場に留置する。

但し、被告人両名に対し、この裁判が確定した日から各三年間右懲役刑の執行をそれぞれ猶予する。

訴訟費用は全部被告人豊田志津子の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

元相被告人であった新大阪不動産株式会社(昭和五三年一一月一六日公訴棄却)は、昭和三五年三月三〇日に、土地分譲等を目的として三和土地住宅株式会社の商号で設立され、その本店を守口市内町二丁目六四番地に置いていたところ、昭和三六年六月一五日目的を土地開発造成分譲等に追加変更登記をなし、昭和三九年一月八日右本店を大阪市港区市岡元町二丁目二七番地に変更登記をなし、同年六月一八日その商号を新大阪不動産株式会社に変更登記したものであり、元相被告人であった水井久蔵(昭和四九年六月一八日死亡により昭和四九年八月二六日公訴棄却)は右三和土地住宅株式会社の代表取締役、被告人豊田志津子は同社の監査役として相当に同社の事業を統括運営し、被告人森蔭彬韶は同社の公表帳簿の記帳及び税務処理事務に従事していたものであるが、被告人両名は、前記水井久蔵と共謀の上、右会社の業務に関し法人税を免れようと企て

第一、昭和三七年四月一日より同三八年三月三一日までの事業年度において同社の所得金額が七、六八〇、〇六九円、これに対する法人税額二、八一八、四〇〇円であるのにかかわらず売上金の圧縮除外、架空経費の計上等の不正手段により右所得金額を秘匿した上、昭和三八年五月三一日枚方税務署において、同署長に対し右事業年度の所得金額は一四四、六七六円、前五年以内の繰越欠損金六、四五六、四九七円、差引翌期首現在利益積立金額六、三一二、四二一円の赤字である旨過少に虚偽記載した法人税確定申告書を提出し、もって同年度分の法人税二、八一八、四〇〇円を免れ

第二、昭和三八年四月一日より同三九年三月三一日までの事業年度において同社の所得金額が九一、四六四、五八一円、これに対する法人税額三四、六五六、五一〇円であるのにかかわらず、前同様の不正手段により右所得金額を秘匿した上、昭和三九年六月一日枚方税務署において、同署長に対し右事業年度の所得金額は四、〇二一、五五九円、繰越欠損金六、三一二、四二一円、差引翌期首現在積立金二、二九〇、八六二円の赤字である旨過少に虚偽記載した法人税確定申告書を提出し、もって同年度分の法人税三四、六五六、五一〇を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示事実全部につき

被告人両名の関係で

一、被告人両名の当公判廷における各供述調書

一、第三回、第四五回ないし第四九回公判調書中の被告人豊田の各供述部分

一、第三回、第一三回、第一四回、第三五回、第三七回ないし第三九回、第四三回、第四四回、第四八回、第四九回公判調書中の被告人森蔭の各供述部分

一、水井久蔵、被告人豊田の検察官に対する各供述調書

一、収税官吏作成の水井久蔵、被告人豊田に対する各質問てん末書

一、第八回公判調書中の証人棟近明、同足立全康、同亀井俊策の各供述部分

一、第九回公判調書中の証人高畠要三、同矢野航蔵、同森三次、同卯木博文、同石関直一の各供述部分

一、第一一回公判調書中の証人森蔭吏、同西口佐治郎、同中元光造、同奥田宇三郎、同水橋マキの各供述部分

一、第一二回公判中の証人生駒敬治、同川東仙太郎、同北風重夫、同須賀三男、同藤田芳宣の各供述部分

一、新大阪不動産株式会社代表者作成の定款写

一、登記官吏作成の登記簿謄本四通(検察官請求番号2ないし6のもの)

一、収税官吏作成の左の者に対する各質問てん末書

清水教郷、豊田勝枝、佐竹一

一、豊田勝枝、高橋清兵衛の検察官に対する各供述調書

一、左の者の回答書

相栄繊維工業、山田茂、出水市太郎、近藤好太郎、桜物産株式会社、吉野鉱泉所、岩田硝子工業

一、銀行調査書綴一冊

一、農地法第五条の規定による許可関係書類三綴

一、押収してある左の各物件(昭和四二年押第五二五号)

法人税修正確定申告書三通(符3号、3号の2、4号)、伝票四綴(符5号ないし7号、26号)

総勘定元帳四冊(符8号ないし11号)

土地売買明細帳一冊(符12号)

不動産売買契約書四四通(符13号)

青写真 一枚(符17号)

領収書 一枚(符20号)

取引控帳の一部一枚(符21号)

売買関係資料(三井信託)一綴(符22号)

不動産共有に関する契約書一通(符23号)

領収書 二通(符24号、25号)

売買契約書写 一通((符27号)

領収書 写五通(符28号の1ないし5)

門真市電話局用地関係書類一冊(符29号)

現金出納帳 一冊(符30号)

領収書 四冊(符31ないし34号)

被告人豊田の関係で

一、第二五回ないし第三〇回公判調書中の証人福山寛の各供述部分

一、第三一回、第三三回公判調書中の証人平岩悌次郎の各供述部分

被告人森蔭の関係で

一、被告人森蔭の検察官に対する各供述調書

一、収税官吏作成の被告人森蔭に対する各質問てん末書

判示第一の事実につき

被告人両名の関係で

一、押収してある法人税確定申告書写(昭和四二年押五二五の1)

一、平岩悌次郎作成の脱税額計算書(自三七年四月一日至三八年三月三一日)

判示第二の事実につき

被告人両名の関係で

一、押収してある法人税確定申告書写(昭和四二年押第五二五号の2)

一、平岩悌次郎作成の脱税額計算書(自三八年四月一日至三九年三月三一日)

(被告人豊田の関係での争点に対する判断)

第一、いわゆる門真残土地の所有関係について

弁護人は、検察官主張の新大阪不動産株式会社(以下単に会社という)の昭和三八年四月一日から同三九年三月三一日までの事業年度における所得金額九一、四六四、五八一円算出の計算の根拠には、いわゆる電々公社及び大阪府開発協会に売却された土地(門真市二番七二-二、七三-一、六八-一、以下門真残土地という)の代金六六、四五六、二二〇円が含まれているが、右土地の売却行為は、水井久蔵・被告人豊田が所有する土地を水井喜美枝。豊田勝枝名義で売却したものであり、因って得た利益を会社の所得に含ましめるのは誤りであり、また被告人豊田に右土地売却によって生ずる不動産譲渡所得に対して課税を免れる意思はなかったと主張するので、この点について以下順次検討する。

前掲各証拠を総合すれば次の事実が認められる。

被告人豊田は、当時内縁関係にあった水井久蔵と共に、昭和三四年九月ころから土地を買受けこれを分譲して利益を得ようと考えていたものであるが、同年一一月一四日ころから同年一二月一九日ころにかけて、大阪府北河内郡門真町二番の農地(泥田)を農家一〇数軒から、水井の二女水井登美枝(以下単に喜美枝という。)名義で買受け手付を打ち、その後農地法第五条による許可申請の都合上、右土地を五回に分けて順次五条申請をなし、三和土地住宅株式会社(後日商号を新大阪不動産株式会社と変更、以下単に会社という。)設立直後の昭和三五年三月三一日までに許可になった三回分を順次喜美枝、被告人豊田の叔母である豊田勝枝(以下勝枝という。)そしてまた喜美枝の名義で移転登記をなし、その後二回にわたり五条申請をして許可になった分については会社名義で登記をなした。

ところで、被告人豊田らにおいて、会社を設立するようになった経緯は、当時、水井には米穀小売商、被告人豊田には煙草店等の個人事業があったので、これらとの合算所得を避けた方が税金対策上もよいというので、昭和三五年一、二月ころになって、水井が会社組識で本件事業をやることを言い出し、被告人豊田と相談の上、同年三月三〇日会社を設立したものであるが、本件会社は、会社とは言っても、資本金三〇〇万円は右二人が出資し、水井を代表取締役、被告人豊田を監査役とし、不動産周旋業石関直一に取締役になってもらい、他の役員は水井、被告人豊田らの親戚の者の名義を借り、本店を被告人豊田の住居地(たばこ屋)に置き、会社設立後は、株券の発行、株主総会の開催などもなく、従業員もおらず、被告人豊田が会計、金銭出納の事務を担当し、水井が宅地造成や造成地の売却交渉を担当するといった、いわば水井、豊田二人の個人的な会社であった。

被告人森蔭は、昭和三五年二、三月ころ、水井から会社の公表帳簿等の記帳と税務申告の事務を依頼され、これを月五、〇〇〇円の手当で引受け、会社成立後月一回位の割合で会社本店たる被告人豊田宅を訪ね、同女から土地売上げ金額、一部の所用経費などの報告を受け、これを控えて帰り、自宅で会社の伝票、公表帳簿を作成し、年一回の税務申告の事務を担当していた。

会社は、水井、豊田二人の個人会社のようなものだと言っても、会社名義の銀行預金口座を設け、宅地造成、土地売買等に会社名を使用し、売却するときは前記土地所有名義とかかわりなく兼丸富子、岩田勇(岩田硝子)の場合を除き、喜美枝、勝枝名義になっている土地も殆んどすべて会社名義で売却した。この門真二番の土地は面積五、六〇〇坪から五、七〇〇坪位あり、それが大きな一区画をなし、その所有名義は区画内部で入り乱れ、宅地造成後分筆合筆がくりかえされて、全体が不可分一体となり、所有名義の差異に特に、それが会社のものか、個人のものかをきめるとの意味は認められない状態であり、全てが会社の帳簿に登載された。

会社成立後、門真二番土地買入れ残代金の支払い及び昭和三五年五、六月ころから同年一二月ころにかけて行なわれた右土地の宅地造成工事費などは、いずれも水井と被告人豊田がその持ち金から出捐したり、あるいは会社名義で銀行から借入してまかなわれたが、前記のとおり、この金銭の出納は全部被告人豊田が担当しており、被告人森蔭には帳簿作成のためその数字が後日知らされるだけであった。

昭和三六年に入ったころ、門真二番土地も売れ出しており利益が見込まれたが、税金のことが気になった水井被告人豊田らは、被告人森蔭から新たな土地を買えば、税金は払わなくてもいいと知らされ、昭和三六年二月ころ、大阪市東淀川区宮原町の土地(以下単に宮原町土地という。)をさらに同年五月ころ大阪府北河内郡交野町星田の山林(以下単に星田山林という。)をそれぞれ買入れた。そして、これらの土地も前記門真二番の土地と共に被告人森蔭の作成する会社の帳簿に登載され、不動産取得税、固定資産税も会社の損金として処理された。こうして、会社の昭和三六年三月の決算期(以下これを第一期という)、同三七年三月の決算期(以下これを第二期という)は、土地売上価額の圧縮や右新しい土地の買入れ等もあり、さほど利益もないと思われたが、昭和三八年三月の決算期(以下これを第三期という)には宮原町土地の一部が売れ、門真二番の土地も相当に売れたので税金を払わざるを得ない状況となった為、水井、被告人豊田らは、被告人森蔭に対し、まだ星田山林全部と宮原土地の大きい部分と門真二番の土地の一部が売れ残っており、会社の事業終了時にはいずれ税金を払うにしても、今暫らくは税金のかからないようにして欲しいと依頼し、同人は、これを了承し、昭和三八年五月三一日その趣旨に従って架空経費の計上、売上価額の圧縮・除外などの帳簿繰作をした上前認定の罪となるべき事実第一記載のとおり税務申告をした。

その後、門真二番の土地は、昭和三八年七月八日ころ細田卯一に勝枝名義で売却されたあと、いわゆる電々公社や、大阪府開発協会に売却した部分(以下、これを門真二番の残土地という。)を残すのみとなった。他方、星田山林は同年六月二九日ころ、また、宮原町土地の大きい部分も同年八月二九日ころ、会社名義でそれぞれ全部売却された。

電々公社は、昭和三八年六、七月ころから門真二番の残土地に目をつけていたが、同年一〇月七日三井信託銀行大阪支店と右土地の不動産買収の媒介に関する契約書を交わし、その仲介等により、同土地がたまたま喜美枝、勝枝の名義になっていたので、同人ら名義のまま、水井久蔵との間に同年一二月二一日、坪単価五〇、〇〇〇円で売買契約を締結し、右水井が喜美枝、勝枝の委任状をもって同月二七日売買代金を受領し、土地の引渡しを了した。(但し、一部残代金の支払いは昭和三九年四月まで留保された分がある。)

この取引による譲渡所得については、水井、被告人豊田らは、右電々公社との売買契約書第七条二項により、同公社から租税特別措置法の適用を受けられる証明書の発行を受け、被告人森蔭に依頼して、昭和三九年三月ころ、喜美枝及び勝枝名義でそれぞれ税務申告をなし、そのころ納税した。

同じ頃、土地名義人を探して被告人豊田を訪ねあてた財団法人大阪府開発協会も、門真二番の残土地名義人喜美枝との間で、右水井が昭和三八年一二月一九日、坪単価五七、〇〇〇円で電々公社と同様の売買契約を結んだ。そして、この取引による譲渡所得についても、被告人森蔭に依頼して、前同様個人名義で納税をすませた。

以上の事実が認められ、右認定に反する被告人豊田の公判供述は措信し得ない。

1、そこで右門真残土地が、水井久蔵及び被告人豊田の個人の土地か、それとも会社の土地かについて、判断する。

以上認定の事実によれば、

(1)、本件会社がまさに水井・被告人豊田によってすでに買受けのため手付を打たれていた門真二番の土地を(宅地造成して)売却するために作られたものであること

(2)、そして、右会社は税金対策のために設立されたもので、たとえ株券の発行もなく、従業員もなく、その点では水井と被告人豊田の二人の個人的な会社であったとは言え、会社名義の取引、預金口座、会社帳簿および税務申告の存在などの活動状況からみて、税務上は右会社の実在性が認められること

(3)、会社設立以来、門真二番の残土地も他の門真二番の土地と不可分に会社のものとして取扱われてきており(符一七号青写真)、そして右門真二番の土地はすべて会社の公表帳簿の作成を委任されていた被告人森蔭によって、会社の資産として右会社の帳簿に登載されていたこと

が認められる。

ところで、租税は、現実に収入のあるところに賦課されるべきであるから、権利の形式的名義の如何にかかわらず当該権利の実質的に帰属するものに対して賦課せらるべきものであるが、以上のような場合、会社設立と同時に門真二番の土地は、水井・被告人豊田から会社に引きつがれたものと認められ、このような場合、会社設立に際し会社代表者水井等から会社に対し、売買、現物出資又は財産引受等の法律的手続を経ることなく、引継がれた土地であっても、右資産が法人の公表帳簿に登載され、貸借対照表に資産として継続的に計上され、固定資産税なども法人の損金として処理されている場合には、その名義如何にかかわらず、実質的には法人の所有財産であると認定するのが相当である。(昭和四九年四月九日最高裁第三小法廷、昭和四七行(ツ)五五号、税務訴訟資料第七五号八二頁参照)

こうして、会社所有となった門真二番の残土地を、その後において、会社から水井、被告人豊田ら個人に移転されたことがない以上、右土地は、会社の土地であり、実質的に依然会社代表者であった水井が電々公社等に対して喜美枝、勝枝名義でなしたその売却行為は会社の取引であるといわざるを得ない。なお、昭和三八年五月一日付会社から喜美枝、勝枝への右門真二番残土地の売買契約書(附一五号、一六号等)があるが、これらが後日昭和三八年一二月ころから同三九年三月ころまでに被告人森蔭によって作成されたものであって、無効のものであることは弁護人も認めるところである。(もっとも、弁護人はこの契約書の作成日を、本件国税局の査察の入った昭和四〇年五月以降であると主張するが、それを認めるに足る証拠はない。)

そうすると、門真二番の残土地が個人の土地であってこの売却は会社の取引ではないとする弁護人の主張は理由がない。

2、次に右土地売却によって生ずる法人の所得に対する課税を免れる意思が、被告人豊田に存在したか否かについて判断する。

ところで、右法人税逋脱の犯意が認められるためには、昭和三八年一二月二一日本件契約当時、被告人豊田において、電々公社に売却する門真二番の残土地が実質的に会社の所有であるとの認識があり、これを個人のものとして売却し、本件法人税申告に際し、この譲渡益を法人たる会社の所得から除外することの認識認容があれば足りる。

門真二番の残土地について、これが会社の所有であったとの認定した前記1の各事情を、その立場上、被告人豊田においても十分知悉していたと思われることの外に、

(1) これが、個人の取引であることを電々公社が認め、これを証明するという趣旨で電々公社との売買契約書に「甲(電々公社)は乙(喜美枝または勝枝)の租税特別措置法の適用を受けさせるために必要な証明書を発行する。」との第七条二項の文言を殊更に追加記入したこと(符一五、一六号など)は、水井、被告人豊田らにおいて、本件土地が会社の所有であるのに個人の取引であるとのいわば認証をあえて電々公社に求めんとしたものと推測されること

(2) 三井信託銀行大阪支店長作成の業務日誌(符二二号、二九号)の昭和三八年一〇月一一日欄に、本件土地が「税務対策上水井の姉(これは正しくないが)と娘に各々名義借りをしている由」であるが、会社の土地である旨記載されており、これは右第三者でさえも、本件取引当時、門真二番の残土地が会社の土地であると認識していることを窺わせ、会社会計の実権を握っていた被告人豊田がそれを知らない筈はなかったと思われること

(3) 被告人豊田は、売値に不満がありながらも、個人名義なら租税特別措置法の適用を受けて税金が安くなるから会社で売るより得だと説得されてこれに応じたこと

などからも推認されるところである。

そして、これを電々公社へ水井・被告人豊田ら個人のものとして売却したことは、被告人豊田が当法廷での審理を通じて一貫して主張するところであり、これを認め得るところである。

そして、これを会社の所得から除外して、法人税の申告をなさしめたものである。

そうすると、右除外について被告人豊田に犯意がないとするこの点に関する弁護人の主張は理由がない。

なお、電々公社等の職員が説得するとき、名義がたまたま個人になっているから個人の取引になり、租税特別措置法の適用が受けられるといわれ、被告人豊田らにおいてこれを信じたとしても、右の錯誤は法律の錯誤にすぎず、本件法人税逋脱の故意を阻却するものではない。

また、被告人豊田らは、被告人森蔭に依頼して、昭和三九年三月一三日勝枝名義で、またその頃喜美枝名義で、いずれも右売却によって生ずる譲渡所得につき、個人の所得として申告納税しているが、この個人名義で納税したことは前記法人税逋脱の結果であって、これあることが本件法人税逋脱の犯意を阻却する理由になるものでないこと言うまでもない。(大阪府開発協会への売却についても同様である。)

第二、被告人豊田の法人税逋脱の犯意について

弁護人は

1、被告人豊田と同森蔭との間に法人税逋脱を図る旨の合意がなかったこと

2、被告人豊田が法人税の納付に充てるべき九二〇万円を被告人森蔭に交付しており、被告人豊田には法人税逋脱の意思がなかったこと

3、被告人豊田と同森蔭の間には会社の土地売却価額につき、いわゆる圧縮をなし所得金額を過少に申告する旨の合意はあったが、その範囲を越えて過少申告をなし、所得額を零として申告する旨の合意はなかったことの点から、被告人豊田には本件法人税逋脱の認識はなかったと主張するので以下順次判断する。

1、法人税逋脱犯においては、申告所得と実際所得との差額全部について、その差額がいかなる勘定科目のいかなる脱ろう額によって構成されているかということまで認識する必要はなく、不正経理によって実際所得よりも過少な申告所得を算出して法人税を逋脱しているとの概括的な認識があれば、逋脱犯の犯意としては十分である。前記認定の事実によれば、会社は、第一期、第二期はともかく、第三期には、利益もあがったので、被告人豊田らにおいても税金が気になりつつも、会社事業終了時に税金を一括して払うにしても、まだ売却未了の土地がかなりあったので、今暫らくは税金のかからないようにしてくれと被告人森蔭に依頼し、同人はこれを了承し、昭和三八年五月三一日売上価額の圧縮、架空経費の計上その他の手段によりその旨税務申告をしたことが認められ、右認定に反する被告人豊田の公判供述は措信し得ない。そうすると被告人豊田に帳簿技術について詳しい知識がなかったとしても同女と被告人森蔭との間に、会社の当該年度の法人税逋脱を図る旨の合意があったと認めるのが相当である。

昭和三九年三月期の決算(これを第四期という)については、次の2であわせて述べるところである。

2、次に被告人豊田が、法人税納付に充てるため、九二〇万円を被告人森蔭に交付したとの点について

前掲各証拠によれば、被告人森蔭は、水井久蔵、被告人豊田らから、

昭和三九年二月二六日 二二〇万円

同 年三月三〇日 三〇〇万円

同 年一一月七日 三〇〇万円

昭和四〇年五月ころ 一〇〇万円

を受領していることが認められる。

被告人豊田、森蔭の関係については、前掲証拠によれば、被告人森蔭は、当初会社帳簿への記帳事務と税務事務の処理を委任されていたのみであるが、その後水井らが前記石関直一を遠ざけるに及んで、被告人森蔭が土地の売買取引にも関与するようになり、そのうち、単なる記帳事務だけでなく、水井、被告人豊田らの意を受けて、会社のため種々脱税工作を行なうようになり、前述のとおり、第三期決算での逋脱がうまくいくや、水井、被告人豊田らは、昭和三八年九月ころ、電々公社と話の続いている門真残土地の売却で会社の全ての土地を売り尽しその事業も終わり、多額の利益が見込まれる第四期同様税金を払わないですむのなら払わんですませたいと考えるようになり、そのころ、被告人森蔭と相談の上、事業終了後の会社の税務処理を被告人森蔭にまかせるため、水井・被告人豊田らが順次会社から抜けて行くことにし、水井は同年九月、被告人豊田は同年一二月と順次会社登記簿上会社役員を退任した。

ところが昭和三八年暮ころ、会社取締役に名を連ね、水井・被告人豊田らとの共同事業者を自認する石関直一が、本件事業とその売上額圧縮による厖大な利益を得た水井、被告人豊田らに対し、その利益の配分を要求し、その間の仲介に当った被告人森蔭から、右石関の線からあるいはこれまでの圧縮が発覚するかもわからないと言われるや、水井、被告人豊田らも何がしかの税金は払わねばなるまいと考え、その旨被告人森蔭に言うと、同人はこれまで多額の累積赤字を計上していたこともあり、それは無理だと答え、さらにうまくいけば被告人豊田らから自分も相当の利益の分配がもらえるものと思っていたので、自分の方で責任をもって会社の税金のことはうまく処理するということを言い、水井、被告人豊田らもそれではまかせるということになり、水井、被告人豊田は、被告人森蔭に対し、同人が右石関問題の処理と税務処理を主とした会社の後仕末とを一切責任をもって解決することの対価として、昭和三九年二月二六日二二〇万円を交付し、さらに同旨の下に同年三月三〇日三〇〇万円を交付したものである。

そして、被告人豊田が水井と別れて守口を出る前の昭和三九年五月ころ、被告人豊田の家に、同女、水井、被告人森蔭らが集まり、被告人森蔭の知人でその三月に死んだ黒川常松を本件会社の実質上の出資者とし、会社の利益が後日税務署に発覚しても、すべてそれは右黒川に帰したことにし、水井と被告人豊田は、会社に名前を貸しただけということにして、二人に脱税の責任が及ばないようにすることを打ち合わせ、そのころ、その証拠として昭和三四年八月一〇日付の会社設立に関する約定書を作成し、水井・被告人豊田もこれを了承して、右約定書に押印した。

そして、昭和四〇年に入って港税務署の調査があり、さらに同年五月ころ国税局の査察が入ったとき、当初、水井、被告人豊田も、被告人森蔭と共に、右打ち合わせに基いた供述をなし、本件脱税による利益が同人らにあった事実をあくまで隠そうとしていたことが認められる。

なお、弁護人主張のその余の四〇〇万円について、本件法人税確定申告期限である昭和三九年五月三一日までにその交付があったことは認め難く、かえって前記のとおり同年一一月七日ころ守口のたばこ屋(その頃被告人豊田はすでに同所を出ており、水井方になっていたが)で水井の知人北風重夫を入れて話し合い、水井らがさらに六〇〇万円の交付を被告人森蔭に約束した際、同人は、被告人豊田から内金として三〇〇万円を受領し、昭和四〇年五月になって水井から五〇万円を二回にわたり合計一〇〇万円を受領したことが認められる。

右の事情からすれば、被告人豊田らが昭和三九年五月ころまでに被告人森蔭に交付した右五二〇万円、同人において、前記石関直一の問題の解決と脱税会社の後仕末という税金対策を処理することに対する報酬の意味で交付されたものであって、被告人豊田らとしては、自分らに脱税の責任追反の手が伸びないように、被告人森蔭において一切の責任をもってしかるべく事後処理をせよ、そうすればこれを税金の支払いに充てるもよし、被告人森蔭の利得とするもよし、という気持だったと推測され、これが昭和三九年五月ころ、すなわち、前記のとおり、会社設立に関する約定書に押印したころには、被告人森蔭が、これまで同様、法人税を払うような申告をするとは思っておらず、いわゆる零申告することは十分予想しうる状況にあり、被告人豊田らにおいてもこれを認識認容していたものと認められる。(なお、その後の昭和三九年一一月七日ころの三〇〇万円、昭和四〇年五月ころの一〇〇万円も、何とかもっと分配金を得たいと思う気持から、税金等に名を藉りて被告人森蔭が被告人豊田らに出させんとし、被告人豊田が被告人森蔭の再三の要求に怒って同人に対し誓約書、領収書をかかせて、三〇〇万円を交付したものと推測される。)

そうすると、右第四期の法人税申告前に交付された五二〇万円は、その交付時期が法人税申告時期よりはるかに前であり、そのころ未だ法人税額が算出されていないことからみても、法人税の納付に充てるため交付されたものとは言えず、その後である昭和三九年六月一日の被告人森蔭の第四期の会社法人税確定申告にあたり、同人が従前通り土地売却価格の圧縮、売上げ除外その他の方法による法人税逋脱のための申告をなすことについて、被告人豊田にその認識認容があったものと認められ、これについての犯意を認めうるところである。右認定に反する被告人豊田の公判供述は措信しない。

九二〇万円を税金に当てるため被告人森蔭に交付したとする弁護人の右主張は、被告人豊田が本件発覚後この問題がおきてから言いだしたことであって、理由がない。

3、さらに、土地売却価額の圧縮以外の方法による法人税逋脱についての被告人豊田の犯意について検討する。

すでに1で述べたとおり、水井、被告人豊田らは会社はつくるものの帳面の詳しいことはよくわからないので、会社成立以来、その帳簿の記載を被告人森蔭にまかせておったのであり、被告人豊田らの前記税金がかからないようにとの意思に沿って、被告人森蔭が土地売却価額の圧縮除外、架空経費の支出等の帳簿操作をなし、本件昭和三八年五月三一日、同三九年六月一日の二回にわたり会社法人税確定申告をしたものであって、このような場合、被告人豊田において帳簿操作の技術的なことはわからないとしても、右事情の下では、被告人豊田についても、被告人森蔭の法人税逋脱行為の共犯者としての責任は免れないものといわざるを得ないから、弁護人の右主張は理由がない。

第三、その他

一、弁護人は、電々公社に売却した門真二番残土地について、電々公社が国税局に照会した上で、租税特別措置法の適用を受けられることの証明書を発行し、それに沿って、水井、被告人豊田において、喜美枝・勝枝の個人名義で申告し、納税まですませているものを、その後国税局が右取引を会社の取引であったとするのは、いわゆる禁反言の法理に反するものであると主張する。

よって、検討するに、右電々公社の照会がいかなる事項に関するものか不明であるが(証人藤田芳宜の第一二回公判廷での供述では規制市街地かどうかの照会という。)、前掲証拠によれば、電々公社側の仲介人三井信託銀行大阪支店も本件土地が実質的には会社の所有であることを認識しており、電々公社もこれを承知していたと思われるところ、同公社としては、所有権が個人にあるか会社にあるかよりも、名義人が買受けるということに関心があったとみうけられ(証人卯木は個人の会社という。)こんな問題意識しかなかった電々公社の照会に応じた国税局が、本件土地の所有権の帰属を深く検討して回答したとは思われないし、国税局の回答がこのように不明である以上、国税局の本件告発が禁反言の法理に反するとの右主張はその前提を欠き理由がない。

なお、電々公社の右のような行為についてまでも、別個の機関である国税局に禁反言の法理が及ぶものとは解されないと思料する。

二、次に、弁護人は、被告人森蔭が、

〈1〉 前記昭和三四年八月一〇日付の会社設立に関する約定書

〈2〉 前記同三八年五月一日付会社喜美枝間、同日付会社・勝枝間の門真二番の残土地の売買契約書

〈3〉 会社の株主総会議事録、株券

などの内容虚偽の文書を後日作成しているところから、そんな森蔭の供述の信用性を争うが、前述のとおり〈1〉、〈2〉の文書については、国税局の査察の入る一年以上も前に、本件会社の脱税工作の一環として被告人森蔭が作成したものであって、被告人豊田も自己の利益を確保するためには右文書の作成に同意し押印までし、昭和四〇年五月一〇日ころ、国税局の査察が入った後も、なお水井・被告人豊田・同森蔭の三人は、本件脱税行為の証拠隠滅工作を練り、共同謀議をこらしていたのであって、右三人は同年一〇月末から一一月初めにかけて次々と逮捕勾留されたものであるが、それでも、暫らくは右打ち合わせに基づく虚偽の主張をつづけていたのであって、いちがいに被告人森蔭の供述のみを信用できないと非難するのは当らない。自分の利益のためならば、人の書いてくれた芝居(黒川常松の件)を平気で演じてきた者の供述という意味で、被告人豊田の公判供述も被告人森蔭に劣らず信用できないものである。

すでに、前述の、被告人森蔭に対する九二〇万円の授業やその趣旨についても、また修正申告の際に被告人豊田が電々公社の分を会社の取引とみないでくれと主張してもめたことがあるやの点についても、右豊田の公判供述には多々疑問がある。(弁護人は、昭和四一年一月二二日の修正申告に際し豊田が電々公社の取引は個人の取引であると主張してもめたことを前提に、証人福山、同平岩に執拗に喰いさがったが、同証人らの証言が思わしくはなかったのかその後の第四七回公判で豊田はその点の議論はなかったと供述している。そして、修正申告の中味にそれは入ってないと思ったからというが、その前の査察官の調査ではっきりそれが会社の取引だと認めていることに徴しても豊田の各公判供述がウソとわかる。)〈3〉の文書作成は一見弁護人主張のように被告人森蔭が脱税額をふくらませて巨額な利得を図ろうとしたかにみえるが、これは仲の良いときには対税務署、対国税局あるいは対検察庁との関係で相談し合った二人が、その後被告人森蔭の翻意による本件自白で対立する間柄となり、本件等における自分の立場を有利にせんとした被告人豊田から告訴までされた被告人森蔭がその後意地になって会社代表者名義が自分の弟になっていたのを奇貨としてなした行為と認られるところであって、被告人森蔭に〈3〉の文書を利用した民事の争訟がその後にあったからといって、被告人豊田の公判供述の信用性が、被告人森蔭の公判供述の信用性より高いということにはならないのである。

(法令の適用)

判示各所為につき 昭和四〇年法律三四号付則一九条、旧法人税法(昭和二二年法律第二八号)四八条一項、二項、刑法六〇条(懲役刑と罰金刑とを併科する。)

併合罪加重につき 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四八条二項

換刑処分につき 刑法一八条

執行猶予につき 刑法二五条一項

訴訟費用につき 刑事訴訟法一八一条一項本文

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 武部吉昭)

別口損益計算書

(昭和37.4.1~昭和38.3.31)

〈省略〉

別口損益計算書

(昭和38.4.1~昭和39.3.31)

〈省略〉

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